僕について

2006年11月
僕の最初のうつ病の症状



睡眠障害がすごい。



眠れない、
寝てもすぐ起きる、
朝方起きる、そして眠れない、
寝起きが異常に悪い、
体が異常に重い。



②思考がおかしい。



頭が真っ白、
何も考えられない、
落ち着かない、
喪失感、
焦燥感がすごい、
居てもたってもいられない感覚がひどくて思考できない、
一点を見つめる以外、恐怖でできない、
集中できない、
まともに物事を考えられない、
脳が動いていない、異常なのがわかる。



③三大欲求がおかしい。



性欲、欲情という考えすらない、
ご飯は一口たりとも食べられない、
睡眠障害がすごい。




④行動できない。



ベッドから一日中起き上がれない、
トイレに行く気にならない、行けない、
風呂に入る気になれない、入れない、
ご飯を食べに行けない、
電話が鳴っても無視しかできない、
インターフォンがなっても無視しかできない、
一階に階段で下りられない、
テレビが観られない、
音楽が聴けない、
外に行けない、
外に行くと、一刻も早く部屋に帰りたい、



病気の初期、
病気の意味もわからないから、
もう終わったと思った。



2007年5月ごろ



この半年間、なにをしたか覚えていない。
脳みそが働かないのだから、覚えていなくて当然だ。



必死に、風邪のようなものだ、
薬を飲めば7割は半年で治るというデータを信じた。



そのデータを信じて、
必死に、
普通の生活をおくろうとするけど、
できなくて、
それでもデータを信じた。



気が付いたら、
一日40錠ほどの薬を飲んでいた。



僕の思考を、
病気と、
薬とで、全てを奪い去った。



生きているかも、確認するすべもなく、
このころは息をしているだけだったと思う。



そして入院した。



病気になって、
症状は悪化していった。



2007年8月




退院した。
入院中は、いろいろな人に出会った。
統合失調や拒食の人とかだ、
友達もできた。



見えない友達と会話ができる人や、
ご飯の後はトイレで全て吐く人とか、
うつ病で大変な人とかと友達になった。



でも、その友達の何人かは自殺して、
もういない。



入院中はベッドと、
基本的には病因のワンフロアーから出られない。
たまに院内を散歩する程度だ。



運動は、
朝にするラジオ体操だけ。



後は、
三度のご飯と、
ご飯のあとのおびただしい量の薬と、
週に三回のお風呂と、
友達としゃべること、
テレビは皆あんまり見ない、
毎日、夜の10時に消灯する、



僕の睡眠障害はとてもひどかったので、
かなり強い睡眠薬を処方できる限界まで飲んで、
ラリっているような状態で、
やっと入眠できた。



それでも午前1時には起きてしまい、
暗い病棟の中をナースステーションまで歩いて行き、
さらに睡眠薬をもらうが、
たいがい寝つけない。
一晩で3回まで頓服として睡眠薬をもらえて、
毎日3回もらいに行ったが、
寝られなかった。




健常なら、丸一日寝て起きられない量に思う。



夜が長い。
朝6時までベッドから動いちゃいけないから、
夜が不可解に長いけど、
頭の思考が病気と薬でおかしいし、
睡眠薬でラリっているから、
何をしていたのか、思い出せない。




入院中はただ、
ぼーっとするだけだ。
たまに家族が面会にきた。
たまに兄が仕事帰りにふらっと顔を見に来たのが嬉しかった。



2007年9月



家に帰ってきた。



でも、
完全に寝たきりだった。



基本的な症状はほとんど変わらないけど、
12月が過ぎたころ、
昔、通っていた大学の先生から連絡があって会いに行った。


退院してからの4カ月間の記憶は、
今もなお、
全く思い出せない。



2008年1月



大学の先生から、
「気分転換のつもりで大学にきて良い」
との言葉をいただき、
そこの大学の大学院に所属させていただいた。



いくつか大学院には合格したが、
この先生のところに行きたいと、
強く思った。



2008年3月



映画をこのころ観られるようになり、
邦画ばかり観た。



遠くの空に消えた」の主題歌を、
Coccoが歌っていて、
好きになった。



どうしても沖縄に行きたくなった。


Coccoのことを少し調べて、
彼女にゆかりのある土地を一人で訪ねて回った。


沖縄の皆が優しかった。


このころから、体調が回復しだした。



2008年4月



大学院が始まった。
沖縄に長く居たせいで疲れて、
いきなり一か月くらい休んだと思う。



それでも先生は優しかった。
だから、僕も安心した。



うつ病の体調が回復してきたのが原因か、
その他の精神障害が出始める。


2008年から2009年までで付けられた病名は、
思い出せる範囲では以下のようなものだ。


拒食症(体重が40キロ台になった、入院予約するも回復して入院回避)


過食症(拒食の1年4カ月後には体重が77キロまでいった)


統合失調(幻覚と幻聴が特にひどかった。男の人の囁き声と、カーテンが生き物のようにグニャグニャと動いたりした)


解離性障害(二重人格。別人格の時は記憶がない。ひどく野蛮な性格らしく、飛び降り自殺をしようとする人格、入院。)


パニック障害(とくに人ごみや慣れていない環境で、息がすえなくなり、失神しそうになる)


境界性人格障害(自分の性格の方向性というだけ)


うつ病(大鬱といわれる症状、抑鬱状態も含める)


今、ぱっと思い浮かぶだけでもこんな感じ。



2008年6月


自殺しようと思い、
大学院の返りに、その足で沖縄の石垣島に行った。
ずーっと泣いてたら、
客室乗務員の人が隣に座ってくれた。


那覇から石垣島に行く飛行機の中で友達になった人に自殺をやめるように言われて、
いろいろ考えた。


その次に日
波照間島で自殺しようと思ったら、
船が欠航していた。


宿でまた友達ができた。
与那国島に行った。
もっと友達ができた。


与那国島で、
船で友達になった人と宿に連絡するために、
今まで電源を切っていた携帯電話を仕方なく利用して、
親に自分の居場所のヤサが割れる。


宿のオヤジの携帯に、お父さんから連絡が入って、
お父さんと話す。


与那国島で、
ヤシガニ捕まえたり、
サッカーしたり、
少年野球教えたり、
島の仕事手伝ったりして過ごす。


与那国島の帰りの船から降りたら、
誰かに頭を叩かれて、
振り返ると、お父さんだった。
待っててくれたらしい。


2008年7月


大学院に復帰した。
前期は先生にも僕の病気を理解しきるのが難しかったけど、
大学のこの年の後期日程や復帰したあとは、
先生全員が暖かかった。


先生方に生かされていて、
家族に生かされていた。


つづく

以降、
回復期の波がある体調について、
そうのうち書くつもりです。
頑張って生きていれば、
結果、
良いことも多いという内容になります。