どこにいても、時間は平等に流れるもの

しばらく沖縄に居ましたが、
帰ってきました。


今回も、
いろいろとばたばた回らなくていけなくて、
ご飯を食べる暇もあまりありませんでした。


今までは、
沖縄に居ることは、
異文化というか、
日常と違うところもあるかと思いましたが、
沖縄県でも、
大分県でも、
岡山県でも、
日本であっても、
そこに住めば異文化であって、
仕事をして、
ご飯を食べて、
寝るということであれば、
特に変わりがないことに気が付きました。


僕としては、
伝統工芸とか、
その他の特別な文化や、
観光産業などを加味すると、
日本でも特別な所という印象がありましたが、
特別、別段に他の生活があるわけでも無さそうです。


それは多分、
日本に居ても、
海外に居ても、
同じことなんでしょう。


例えば、
病気をしていても、
そうでなくても、
結局のところ、
時間は平等にながれているのです。


ただ、
その中で、
時間の感じ方や、とらえ方が変わってくるのだと思います。


平等にあるものを、
どうやって自分の中で消化していって、
その上で、
ある程度納得できるようにすることができたら、
それでいいのだと思います。


「だいたい」、
とか、
「適当」、
とかでは、
簡単に言い表せず、
そう簡単に割り切れずに、納得できない日々ですが、
こうやって毎日が淡々と繰り返している限りは、
「だいたい」
とか、
「適当」
が大切になることもありそうです。



沖縄に行っているときだけは、
いつも日記の更新が途絶えてしまいますが、
また再開です。


ですが、
特に別段変わらないはずなんです。
どこに居ても、
あまり流されない自分がいるようです。


いつものことですが、
こういった毎日を、
ぼちぼちマイペースで過ごしていきましょう。