戦地に赴くことと日常

東南アジアでの戦争中、
戦記ものなどで伺うフレーズがある。


インドネシアやフィリピンで、
森や動物、海や川。


「こんなきれいなところで、
どうして戦争なんかしなくちゃいけないんだ」


「戦争さえなければ良いところなのに」


そうして、
誰に看取られるでもなく、
何十万人の日本人が、
静かに亡くなった。


全く知らない外国で、
孤独に。


この事実を日本人は知らない。


そして、
生きて帰ってきたら、
「特攻もできないのか」
と、生きていることを咎められる。


そんな馬鹿な話があるだろうか。


東南アジアから戦争で生きて帰ってきた人の中には、
戦地に観光でいくひともいるらしい。


その美しい風景はどのように映るのだろうか。
その体験者にしかわからない。


現代社会の荒波も、
戦争と比喩することができるかもしれない。
生き残り争いがあるからだ。


なので、個人個人で、
見解は異なる。


だから、
現代社会は時に、
生きにくいものだと云われるのかもしれない。


であるならば、
自分の意見は自分、他人は他人であると、
自分のマインドを持ち、
他者と自分の住み分けを行わなければならない時もあろう。


自分には自分のペースがあるのだ。
だから、
ぼちぼちマイペースでいこうと思う。