どんな日も

辛い日も、
そうでない日も、
一日という長さは変えられない以上、
同じ「一日」だ。


憂鬱だけど、
今日も明日も、
ぼちぼちとマイペース、
その日の自分ができることをやっていく以外にない。


長い目で見ての目標なんていうものも、
今日と明日の積み重ねの上で、
達成されるのだと思う。


その上、
今日も明日も、
何かをしなくちゃいけないってことは、
何一つない。


ただ単に、
生きていればいいのだ。


社会的な活動ができる一日も、
寝たきりの一日も、
同じ「一日」にすぎなくて、
その一日を「生きる」ことだけが、
僕ら、人間の生活の営みであると思う。


単に生きることに意味はない、
といってしまったらそれまでだ。
しかし、
究極を謂えば、
誰も生きる意味なんてない。
さらに究極を謂えば、
意味を成すものすら、
この世には存在しない。


その中で、
自分というものの意味を見つけたり、
一見、無意味に思えても、
無意味という意味を見つけ、
それでも生きるのが、
僕らに与えられた唯一の、
「やらなきゃいけないこと」
だと思う。


単に生きましょう。
単純に生きましょう、
そう、ぼちぼちマイペースで。