無関心や傍観者になることの危うさ

無関心の危うさは、
そこらじゅうに転がっていると思う。


無関心、
と、
興味が無い、
は少し違うかもしれない。


例えば、
道路に人が倒れていた場合、
それに対して、
無関心で傍観者になる人は実際に居るようだ。
倒れている人に興味が無いわけではなく、
興味はあるんだけど、
傍観者になるのが、
無関心だ。


現代において、
無関心が成立してしまうのは、
情報量の多さや、
その情報を発信するツールが多くなったことが挙げられる。
つまり、
テレビ等を通して、
道路に人が倒れている状況を見るケースが何度かあると、
それが日常だと勘違いして、
実際に人が倒れていても、
非日常ではないと勘違いして、
傍観者になっていしまう。


故に、
無関心や傍観者になることは、
とても危うい。


そうなってしまうような、
ある意味での、
思考の麻痺が起こらないように、
有る意味での、
人としての「普通」を守ることは、
現代を生きていく上でとても重要に思う。


明日からも、
普通であることを大切にして、
ぼちぼちマイペースでいけたらいいのだと思います。