小さくても大きな存在


個人個人にとって、
小さくても大きな存在があるとおもう。
例えばお母さんだったり。


僕は、
先月登山にいって、
健気にも主張は強く、
小さくとも大きく、
そんな存在の高山植物をたくさん見た。


もともとは、
好きな染色作家さんが、
高山植物をモチーフにしていたものを見て、
自分も実際に見たくなったから、
行くことにしたのだった。



しかし、
その存在は、
本来なら人に見られるでもなく、
短い夏のあいだに、
数少ない昆虫へのアピールとしての、
うららかな存在だ。


なりは小さいけれども、
誰に見られるでもなくとも、
綺麗に咲いているその存在感に、
僕は人の人生をも垣間見た気がした。


つまりは、
人の一生も、誰かに監視されているわけではなく、
高山植物のように、
存在していくのだと思いました。



それがうららかかは別として、
人のなりをして、
そうやって生きていくのだ。


そう、できるはんいで、
ぼちぼちと、
マイペースで。


写真は上から、
イワベンケイ
イワウメ、
オヤマノエンドウ
という名前の高山植物です。