競争と共走 −きょうそうときょうそう−

「競争」の要素は、
時にプレッシャーになるけど、
悪いことばかりでもないかもしれない。


必要以上の競争は要らないけれど、
互いに刺激し合えるライバルや、
仕事にハリを与える意味では、
意義がある時もあるかと思う。


(ただし、
それが自分にとって過剰であると思った時には、
必要のない他人との比較にしかならない。
また、
必要の無い時には競争する必要はない)


でも、
病気になった時や、
障害があるときなどは、
競争の要素があることで、
自分の居場所がなくなったりすることも多いと思うので、
競争の要素はあまり気にせず、
それこそ、
ぼちぼちマイペースでやっていくことも重要かと思う。


「共走」という言葉は作った言葉だけど、
共に走ることは、
競争であっても、
競争でなくても、
自分の生活に関わっている、
自分にとって必要な人には、
抱いてもよい気持ちかもしれない。


(共に走りたくない人もたくさんいますが・・・笑)


共走にかんしては、
病気や何らかの障害があるときには、
必要な要素になってくる。


自分一人で解決できる問題というものは、
なかなか存在しない。


自分のまわりの誰かと、
共に協力し合いながら、
問題を解決していくのが普通だと思う。


(つまり、
共走はとても有意義!)


誰かに頼ることは勇気のいることですが、
地球上の生き物は、
皆、共走して生きていると思います。


また、
僕が部活をしていた時は、
皆、ライバルだったけど、
競争しながら共走していた。


そういう関係の友達とは、
今も10年前も変わらないような、
良好な関係が今も続いている。


競争だけではダメで、
共走しないと、
チームプレイがなかなか上手くいかない。


上手く共走できたなら、
いろいろと生活していく上で、
歯車がかみ合い、楽になるととも多いかと思う。


持ちつ、持たれつ、
が、良さそうですね。


ぼちぼちマイペースで。