過去の自分を振り返れることの意味

僕は病気であったはずだ。


入院もしていたし、
毎日が死んだ方がマシだと思えるような生活だった。


それが3年間は毎日続いていた。


「早く死にたい、早く死にたい、早く死にたい」


と、呪文のように、
憑りつかれた様に考えていた。


自分の思考は、
それに支配されていた。


それなのに今の自分は元気だ。


これがとてもうれしいことなのに、
僕は今、平然と日常を送っていて、
あのころの苦しみのことを忘れている。


過去の自分の日記を読んで、
こんなことを考えていたのかと、
ハッとする。


2010年12月3日の日記。
3年以上昔の自分の生きるための考えかただ。
とても感動したけど、
自分の文章であった。


http://d.hatena.ne.jp/zapmama321/20101203/1291342463


今の自分をまさしく支えてくれるような、
そんな言葉だ。


どうして僕はこんなになったんだろう?


あのころの僕に会いたい。


これでいいの?


聞いてみたい。


僕は、去年の6月から日記が激減した。
なんと9月は1回も書かなかった。


2010年4月から2013年5月までは、
3日に1回の更新を守って書いてきた。


けど、
言葉すらつむげない生活でいいのだろうか?


それは僕なのだろうか?
今からの自分を過去の自分はどう思うのだろうか?


この日記を3年後読んで、
僕は納得するだろうか。


日記が書けなかった時期は、
自分の周囲の環境が変わったのと、
周囲の人間に振り回された。


6月から入った染色工房は、
悲惨な場所であった。
その時から言葉を紡ぐのが困難になった。


人間不信になったからだと思う。


それが改善した今、
そうして僕は言葉を紡がないのか。


過去の自分に教えられていてばかりではダメだ。


今の自分が、未来の自分を救うような言葉を紡ぎたい。


そういう人間のままで生きたい。


昨年6月からの半年間は、
日記を書くべきだったけど、書けなかった時期。


自分を自分で支えられなかった時期だ。


そういう時に、
未来の自分にささげる言葉は出てこない。
その時の自分を支えることばしか出ない。


こうやって言葉を紡げるのは、
とてもうれしいことだ。


これからは言葉を紡いでいきたい。


そうやって、ここ数年はやってきたのだから、
豊かな生活のために言葉を紡ぎたい。


パッとしない週末でしたけど、
そんな日もある。
だから、明日もぼちぼちマイペースで。


僕には、
継続は力なりは強すぎる言葉だから、
辞めないこと、
という言葉が良い。


肩肘はらないで、
また始めたらいいよ。


いけいけ、すすめ!
大丈夫!