鳥から見たら、
この世界はどのように映っているのだろうか。


僕らには、僕らの一日がある。
もちろん、
鳥には鳥の一日がある。


僕は今、アパートに住んでいるが、
時々、少し高い山などから見下ろして、自分の家が見えた時、
僕はこんなところで暮らしていたのか、
と、思うことがある。


そんな時は決まって、
なんだか地面にへばりついて、
同じところをぐるぐる回っているだけなんだな、
と、思う。


僕ら人間は、
自分達こそ優秀な動物だと思っているけど、
鳥にしてみたらどうでもいいことだと思う。


(しかも、人類の歴史なんてたった数百万年しかなくて、
しかも、キリストだの紀元前だの原始時代だのいっても、
2000年から3000年だか4000年だか詳しいことは判らないけど、、
そのくらいしかしかたってない)


鳥は、
「今日はどこでご飯を探そうか?」
の、方が大きな問題なのだ。


あるときに、
海の近くに居たんだけど、
その時に、イソヒヨドリという青い鳥が屋根の上から海を見ていた。
きっと、
僕らとは違う感覚でこの風景を見ているのだろうな?
と、思った。


イソヒヨドリは、
人間が上等な生き物とか、鳥が劣ってるとか、
そんなこと考えてなくて、
よし、今日はあそこの森に餌があるかもしれない、とか、
ツバメならば、
今日は風が強いから隣の慶良間島まで行って餌を少しとろう、
とか、思うはずだ。


僕らは、
森に行くのも、慶良間の海に行くにも、
けっこう気合いを入れていくはずだが、
鳥たちにとっては当たり前のこと。


僕らが連休の時に楽しみにしていることを、
毎日している(鳥にしてみたら楽しんでいるわけではない)。


なので、
僕は、時々鳥になってみたいと思う。


どんな風に考え方が違うんだろう?


ツバメなんかスゴイ速さで飛んでいく。
(でも、鳥って手で持つと、か細くて、すぐに壊れてしまいそう)
すごい生命の力を感じることも多いと思う(人間である僕と比べて)。


そんな風に、
人間も、ちがう生き物の鳥のように、
色々な視点があってもいいと思う。


当然、
考え方が違う者同士が共存していかなくてはいけない。


海の近くにいた、海を見つめるイソヒヨドリと、
以前に見たツバメの滑るような飛行を思い出して、
いろんな人がいることをおもいだし、
そのことを念頭に入れる、良い機会になった。


今日も明日も、
できることできる範囲で、
健康第一ですよ。


ぼちぼちマイペースでいきましょう。