孤独の中の咆哮

死ぬことが生きる道だった。


一見矛盾しているような言い回しのようだが、
実際、
毎日どのようにすれば死ねるか毎日考えていた。
もう、
生きているのが辛くて、
死んだ方が楽だと思っていたから、
このように考えるようになっていた。


ただ、
何回か本当に死にそうになったこともあったが、
実際に死ぬことはなかった。
そのうちに、
どうやって死ぬかではなく、
どうやって生きるか、
を、考えるようになっていた。
でも、
そのように考えが変わるようになるまで、
とても時間がかかったし、
辛い思いをしながらも、
死なないで何とか生き抜いた。
おそらく、
このことが自分な中にある、
世の中の事象への、
中立的というか、
公平な考えを養ったように思える。


ちょうど、
思考が大人になる時期も手伝っていたのかもしれないが、
メンタルの病気(脳内伝達物質の供給が不安定な状態)からの回復過程、
つまり、
その脳の形成が回復される過程において、
回復と一緒に、
今までと違う新しい思考が生まれたように思う。


今でも、
生きていることが窮屈に思うが、
これは、
誰しも抱えている、
「孤独」
と、いう闇とともに、
それを自己の中で反発する考え、
つまり、
「咆哮」
に、似たような、
闇に対する大きな力が、
生きる動機になった気がする。


どちらにせよ、
あんまり考え過ぎずに、
ただ何となく考える程度が良さそうで、
そういったことをぼちぼち続けることが、
大切なようです。