死にたい 、と洩らす時

死にたい、
と、洩らす時がある。


実際に死ぬ可能性も十分にあるような状態に思う。


それでも生きなければならないことは、
わかっていても、
死にたい、
と、洩らす時がある。


死んだ方が、
世の辛いことから開放される、
と、いう風に考えた時、
人は自死する。


その気持ちはよくわかる。


自殺は、
人間における選択肢のうちの一つで、
法律とかで、
そういった人間社会っぽいものでは禁止はされていない。


ただ、
周囲の人間が困るとか悲しむとかそういった理由で、
自殺しないのが一番の理由で、
そのあたりに生きる意味を見いだせる時がある。


政府が3万人も年間に自殺してんのに、
まともに対策をとらずに、
他人任せにしているのは、
あまり良いことでは無いと思う。


政府が対策をとっている裏には、
自殺は悲しい行動とかそういった感情論ではなく、
単に3万人も人が死ぬと、
総人口がへったり、
GDPが減ったりするからだと思う。
だから、
本気で対策をとらない。
他人様のことだからだ。



でも、
政府がなんだろうと、
家族の気持ちを考えても、
それでも自殺したい時はある。


どうして、
こんなに辛い思いしてまで生きなければならないのか。
いつも、
自問自答している。


「くだらねぇ」


そう思えてならない世の中でも、
それでも生きる意味はあるのか。


そういう自問自答を繰り返しながらも、
それでも、
「生きている」
と、おもえたり、
「生きていてよかった」
と、思える瞬間があるので、
仕方なく生きていかなくてはならないのだと思う。


焦ってもしかたない。
焦って死んでもしかたない。


取りあえず、
今日と明日のことくらい、
くだらないと思う時もあるけど、
生きてみようよ。


焦らず、
焦らず、
ぼちぼちマイペースでいいから。