「ゆんで」と、「めて」
ゆんで、とは、
弓手、
つまり左手。
めて、とは、
馬手、
つまり右手です。
『ゆんでめて』
という、『しゃばけ』シリーズの本を読んでいて、
ゆんで、に進むか、
めて、に進むかで、
その後の自分の未来が大きく左右されることがある、
と、いう内容のものがありました。
(『しゃばけ』シリーズは、
あっという間に読めるので、
暇つぶしに最適です)
ゆんでめて、どちらに進むか、
は、現在の自分が決めることですが、
弓手に進もうが、
馬手に進もうが、
時間軸の中で、
その後の結果が必然的に違ってくる、
と、いうわけです。
例えるなら、
右に進んだら事故にあうけど、
左に進んだら日常と何ら変わりのない暮らしになる。
また、
右にすすんだら、将来の伴侶に出会うけど、
左にすすんだら、出会わない、
(今、出掛けたら会うけど、
出掛けなかったら会わない)
の、ような感じでしょうか。
いかなる場合でも、
と、云うわけではありませんが、
同じような決定は、
毎日、日常的に行われています。
ただ、
将来の事は誰にもわかることではないので、
弓手であろうが、
馬手であろうが、
現在の自分が決定していかなくてはいけないことなのです。
それに伴う結果が、
後悔するものなのか、
満足するものなのか、
は、決める時にはわからないので、
結局は自分で決めたことから出会う結果を、
受け入れていかなくてはいけない、
と、いうことです。
ただし、
ここで重要なのが、
未来はわからないけれども、
過去も変えられないということで、
後悔しても仕方がない
と、云うことです。
故に、
やはり、「今どうする?」
と、いう決定をしていくことが重要であり、
過去よりも未来よりも、
「今」が大切だということになります。
決定することは、
その時は何気ないことです。
結果がどうであれ、
肩肘はらずにいきたいですね。
ぼちぼちマイペースで。