空から見下ろせば −辛いことがあっても−
飛行機で夜に帰ってきて、
空港まで降りる時の低空飛行の夜景を見たとき、
人間の営みがそこにあるのを感じて、
ほっとしたことがないだろうか。
先日の雪の日、
雪の間から照らされた街灯の光が、
なんとも、
その飛行機から眺めた景色を思い出させた。
空から人間の営みの光を見たとき、
自分が、
その営みの構成員の一員として成り立っていることを、
自覚する。
その沢山ある光のうちの、
ごく一部に携わっていて、
それが集まって光の集団(夜景)を作っている。
その集団の一部にいること、
その光のひとピースになることで、
安心する自分がいる。
安心する光の集団、
帰る場所があること。
飛行機から見る広範囲の夜景の中の営みは、
普段は見れない人間の営みの全部を目で見えるように、
可視化したフィルターを通したかのようだ。
同じような、
暖かい気分になるときはどんな時だろうか?
そういう時、
生きていてよかった、
とか、
ほっとしたり、
言葉では表せないような、
包み込まれたような気分になる。
寒い日、
帰り道で上を見上げる。
街灯も星も月も、
自分から見ないと、その姿は見えないけど、
街灯も、星も、月も、
いつも上から、
自分を、
または、
それら光の集団とその構成員達を、
そう上から見ていてくれていた。
いま、この時も、
飛行機から夜景を眺めて、
ほっとしている人もいるだろうし、
街灯も、星も、月も、
もしかしたら雲も、
上から、僕らをみていてくれているのだ。
辛いことがあっても、
空から物事をかんがえてみるのも、
良いことなのかもしれない。
普段見れない視線から、
自分を考えてみるのです。
今日もぼちぼちマイペースで。