元柔道世界王者の山口香さんの正当性 −社会活動としての、スポーツ・仕事や学校等のあり方−

スポーツ界ではタブー視されてきた、
暴力の問題がようやく明るみに出始めた。


強豪になればなるほど、
監督者の統率力が必要になり、
パワハラや暴力に走る監督者も出てきてしまう。
特に格闘技となれば、
その傾向は強いのかもしれない。


国会議員の橋本聖子氏やスポーツ界は、
一連の女子柔道日本代表の告発した選手を、
擁護せずに、名前を公表すべきだとしているが、
この公表は常識的にはありえないと思う。


橋本聖子議員は、
「(各スポーツ上層部)を告発するということは、
どれだけ責任があるか考えてほしい」
とか、
「プライバシーを守ってもらいながら、
ヒアリングしてほしいとは良くない」
などと発言をして、
告発者15名の名前が公表されていないことは問題があるとした。
http://www.asahi.com/sports/update/0206/TKY201302060380.html


パワハラや暴力を行う監督者を擁護するこの発言を、
僕は許容することはできない。


今回の発端は大阪府内にある高校の、
バスケット名門チームのキャプテンの自殺からはじまる。


スポーツにおける暴力・パワハラは今まで普通にあったし、
それによって自殺に追い込まれた選手は多いと思う。
この度の問題点は、
教育委員会等の監督すべき立場の機関が、
この問題を把握しながら対策を取らなかったことにある。
(この点では、女子柔道日本代表も同じといえる)


例えば、
小学生にとって(特に私立)、学校が全てで、
先生に従うことは当たり前のような環境において、
パワハラや暴力があったのと同じだ。


絶対に逆らえない状態で、
パワハラや暴力の屈辱に耐えなければならないことが、
自殺に結びつのは容易に想像できる。
(スポーツ界だけではなく、学校、徒弟制度、会社等でも一緒か)


そういった屈辱に耐えて金メダルを取ることに、
本当の人間的な成長というのは結びつくのだろうか。
(自分も監督者になった時に、同じ過ちを繰り返す可能性がある)


スポーツに携わったことがある人だったら、
誰もが感じ取ることができる、
「強いものが絶対」
と、いう雰囲気。


山口香さんは、
これこそ問題の一つだとした。
(僕もギクリとした)


山口香さんの言葉に、


「本当に柔道を愛しているのは、
強くなくてもずっと続けた人だと思うんです。
そういう人を尊敬し、適材適所で力を発揮してもらう」
とか、
「キーワードはリスペクトをオープンマインド。
強い弱いを超えて相手を(人間として)尊敬し、
広く開かれた組織になり、多種多様な意見を取り入れることが大切」
と、述べている。
(2013年2月7日の朝日新聞17面より)


こういう考え方は、
おそらく、
本来の格闘技にあるべき姿なのだと思った。
(そして、各スポーツに限らず、すべての社会活動に必要な要素でもある。)


大人の人間として、
どのような態度で、
社会活動としてのスポーツ、仕事、勉強に対して、
望んでいくかを考える時なのだと思う。


本当に人間として成長するとはどういうことか。


今まさに考える時なのだと思う。


自分を変える。
組織を変える。
これは容易なことではありませんが、
必要と思った時からの行動態度が重要なのだと思います。


すぐに結果はでないかもしれません。
忍耐強く、
ぼちぼちマイペースが、やはり良いのでしょう。