飛躍の年にしようと考えがち −飛躍しない年の方が人生では多い−
(ツレがうつになりまして。コラムより一部抜粋)
『気持ちのわるいピーターパン』
会社で働いている大人なのに、
「大人になったら何になりたい?」
と、自分に問うてしまう。
また、
今が自分の収穫期だと思えず、
さらなる飛躍を目指して、
勉強修行中のきぶんでいたいのだ。
僕も、
この「飛躍の年」にしたいという思いは、
毎年、初もうでの時にお願いしていた。
22歳で病気になり、
以降、4年間、26歳くらいまでやっていたと思う。
でも、
今は飛躍の年なんていいや、
と、思えるようになってきました。
健康であっても、
飛躍の年にすることはなかなか難しいのに、
なんで、そう思ってたかというと、
焦りからだと思う。
ただ、かこ数年見ても、
飛躍をしなくても、
僕はしっかりと生きているし、
飛躍がなくても、
それはそれで幸せなのだ。
つまり、
普通でいて、
それでその一年、
何事もなく次の初詣を迎えられるほうが、
飛躍することよりもずっと大切に思えた。
(まぁ飛躍的に病気が快復するお願いならいいと思います)
なんにせよ、
飛躍よりも健康が一番。
多くを望まなくとも、
まずは健康でありたいと思うのです。
天気が安定しませんね。
辛いとことです。
が、
今日も一日やっていくほかありませんね。
ぼちぼちマイペースで。