自分を責めてしまう、自責の念が強い、自分を追い詰める

うつ病の人の、
「自分自身が考える自らの(自分に対する)責任問題」
は、現代を生活するにあたって、
非常に大きな要素だ。


うつ病の人は(特にメランコリー親和型
自分を必要以上に責める傾向がある。


本当に必要以上に責める。


「こういう事が起こったのは自分の責任だ」
「自分がこうしていれば、こういうことは起こらなかった」


などなど、
自分に全責任がないのに、
あたかも自分に責任すべてあると考えてしまう。
(ある意味、完璧主義的に自分が悪いと思う)


こういった時、
通常の人であれば、こういった強い自責の念は起こらないと思うけど、
うつ病の人は、
「自分のいだく自責の念」はごく一般的な考え方だと思っている。
(これは、かなりの問題がある考え方)


だから、
意識的に自分を責めるのをやめたほうがいいと思う。
(自分を卑下するのをやめる)


例えば、
「コレコレこういう理由があって、この日はお休みを取りたいんです、
非常に申し訳ありませんが、あとで取り戻しますので、
よろしくお願いします」


などと、仕事を休む場合において、
特に理由を言わないで、
「この日は休みます」
の一言だけ言えば、
言われたほうはそれ以上何も詮索はしないはずで、
丸く収まる。


(要するに、腫れ物にふれない考え)


なんとなく、上記の例の場合、
うつ病の人は休んだりすることに、
しっかりと理由をつけて、
ちゃんとスジを通して休みたがる。


でも逆に、
スジを通し過ぎていると、
スジを通した理由で本当に休んでいても、
なんだか言い訳しているように思われてしまう。


でも、よく考えると、
普通の人だって、普通に休みたいと気が合って、
普通に休むんだから、
誰だって、普通に休んでいいのに、
自責の念にかられる。


(逆に、ディスチミア親和型は、
逆にミスを誰かの責任にする傾向があるという。
でも、自分の考え方としては、
すべてにおいて誰かの責任にするディスチミア型なんてないと思う)


つまり、
普通の人でもうつ病でも(メランコリーもディスチミアも)、
特に関係なく、
三者的な考え方をして、
自分を必要以上に責める事をしないことだ。


そういう、
ある意味、図太い考え方は大切で、
メランコリー型の自責も、
しっかりとした理由なんか要らないから、
少し無責任くらいでいいのだと思う。


特にスジを通した理由なんか要らないから、
休む時は休むって、
言ってもいいのだと思う。



メランコリア親和型とディスチミア親和型については、
過去の記事を参考程度にしてください

http://d.hatena.ne.jp/zapmama321/20121101/1351737430

http://d.hatena.ne.jp/zapmama321/20121102/1351822603


要するに、
いつもと同じように、ぼちぼちマイペースで、
焦らないでいいので、
ゆっくり考えればいいのだと思う。


そこで、
三者的にはどう思われるか考えて、
(第三者的にどう思うか考えるとはつまり、
三者からすると自分の悩んでいることは何でもなく特に問題ではないこと)
特に理由なんて要らないので、
自分がどういう行動をとるのか説明して(考えて)みたらいいのだと思う。


今回参考にしたサイト
http://utsuchiryo.com/kokoronoyamai/entry21.html