生きがい −生きがいも大切だけど、生きていることはもっと大切ー

生きがいがないと生きていけないような風潮はなんなんだろうか。


その生きがいも、
誰かの考えをうのみにしているものかもしれなくて、
自分の考ている生きがいと合致しているかは判らない。


例えば、
休みにハワイに旅行に行きました・・・
と、しても、
それは、
「社会的にハワイ旅行は休暇の時に行く娯楽だ」
と、いう社会的にパッケージ化された、
娯楽(生きがい)のイメージであって、
自発的にハワイ旅行を欲したわけではない。


このように社会から与えられてしまっている、
「生きがい」
は、意外と多いと思う。


それなのに、
社会では生きがいを求める。


生きがいがあることをヨシとする風潮だ。


僕には、自分から欲する生きがいは無いかもしれない。
意外と、社会から与えられたもの以外のもので、
自ら、
「これが生きがいです」と、いうのを説明するととなると、
これが意外と難しい。


だから、
生きがい探しは生きている内ですればいいので、
生きがいも大切だけど、
生きていることはもっと大切に思う。


つまり、
生きがいがなくても、
本当は生きて行けるのに、
それが無いとダメって考え方はよくない。


動植物で生きがいなんてのがあるのは、
人間だけかもしれない。


生きがいは、
つまりは各々の好む暇つぶし(究極に云えば)になるのだから、
その人それぞれの形で生きがいがあってもいいと思う。


生きがいなんてものは、
まずは生きていないと、
探すこともできないのだから。


生きがいがないから生きている意味がないという人がいるけど、
本当は、逆かもしれない。


「生きがい」→「生きる」
ではなく、
「生きる」→「生きがい」
になる。


「生きがいがある」だから「生きていける」
のではなくて、
「生きている」だから「生きがい探し」ができるのである。


つまり、
生きがいも、生きていてナンボのもんだ、
ってことです。


生きがいも大切ですが、
その定義に首を絞められていては、
逆に生きがいが苦しくなります。


それでは本末転倒。


生きがいも、
ぼちぼちがよさそうです。


生きがい探しも、
マイペースがよさそうです。


やっぱり、
ぼちぼちマイペースが重要なんだと思います。