いじめ後遺症 いじめ辛い −言葉の暴力のほうが治らない−

本日の朝日新聞の社会面(37面)に、
「いじめ後遺症」
のことが記載されていた。


仮に両者の合意のいざかいで喧嘩をして、
殴り合いをしてできた傷のほうが治りやすいかもしれない。


そう思った。


40歳の主婦の方の意見が印象的だった。
「バカ、キモイと言われ続けた中学時代の経験を、
25年以上引きずっている」


とても心が痛むと同時に、
僕も何の気なしに言った言葉が、
人を傷つけた可能性があると思い、
涙が出た。


「もしかしたら、あの時言った言葉が」


いろいろな過去の経験が、
いつくも思い出された。


もう同じ過ちは繰り返したくない。


逆に、
僕もいじめで大きく傷つけられている人間なのだと思い出した。


小学校時代、
特定の児童に陰湿ないじめを繰り返す担任の教師がいて、
僕と友人のたけちゃんが標的になった。
たけちゃんも不登校になった。

(ここでその教師の個人情報を暴露したいくらい、
猛烈に憎い相手で、その人がいなければ、
人生が大きく違うとも思う)


その教師は、
学校や家庭は子どもにとって「世界のすべて」
であるにもかかわらず、
クラスのみんなの前で、
「あなたバカよねー、と嫌味たっぷり歌って、
クラスのみんなの笑いを誘って、爆笑させた」


もちろん孤独を感じた。


それ以来、僕は小学校に行けなくなった。
小学5年の時だった。


それで、近所の別の小学校に、
6年生の1学期の途中にうつったのだ。


そして中学に入ると、
「5年生の時の先生が嫌で転校したアイツだ」
と、いじめを受けた小学校の生徒と中学で一緒になったので、
今度は生徒から激しくいじめられた。


僕にとって中学は暗黒の時期だった。


お父さんが中学の先生をしており、
けっこう目立った行為をしていたため、
先生から授業中、お父さんのネタを暴露されたりした。


テストで100点を取ったのに、
成績は5段階で3の事もあった。


99点と96点で、
5段階で3の時もあった。


明らかに不正な評価だと思って、
抗議にいった。


「これ以上の点数、どうやってとればいいんですか?」
先生はバツの悪そうに、
何も応えてはくれなかった。

多感な時期に、とてもつらかった。


それを思い出し、
いまだにその経験を大きく引きずっていて、
自分が、
「対人恐怖」の傾向があることに気が付いた。


人の目を見て話すのが怖いのだ。


だけど、高校はまさに人生の最高の時間だった。
友人に恵まれたのだ。

これで救われたのかもしれない。


いじめ問題に取り組むNPO
「ジェントルハート・プロジェクト」によると。
(1)言葉、暴力などのいじめそのものに加え、
(2)いじめを見逃したり放置したりした、
学校や家庭の対応が、子どもの心に傷を残す主な原因となる


治療方法としては、
著名な精神科医斉藤環さんによると、
「後遺症の患者が訪れた際、最初に「治る」と伝える」
のだそうだ。


そして、
人の中で傷ついた病気を、
信頼できる人の中で癒そうと、
同じ経験をした者同士のグループの中に患者を招き入れる。


斉藤さんが「人薬」と呼ぶ治療の方法だ。


まさに、
僕にとって高校時代が「人薬」の時だった。


今でも引きずるいじめのこと。
地元に住んでいるので、
中学の知り合いに会うと目をそらす自分がいる。


地元を歩く時の恐怖心がある。


でも、
多くの人が悩んでいる問題だと気が付いて、
少し肩の荷が下りた思いだ。


すこしづづ、
治していければいいのだと思う。


ぼちぼちマイペースで。