打っても響かない人 −病的な人と、そうでない人−
打っても響かない人がいる。
去年の10月と11月は、
そんな人に惑わされて、
心が疲れた。
目上の人だったし、
その人を立てて、
あえて褒めたりしていた。
でも、
一度解決したことなのに、
何度も同じ話をぶり返して、繰り返すから、
こちらも疲れてしまった。
そんな時、
何度も粘り強く、
「この時は、このように決まりましたよね?」
「あなたの意見も一つの見解ですけど、
今回はこういう風に決まったので、
あなたの意見では今回はできないんです」
「あなたの意見は自分の意見であって、
全体の意見ではないです(自己中はやめてください)」
こちらが何度も相手を傷つけないように、
細心の注意を払って対応しているのに、
その人は僕に対して、
「君は協調性がなさすぎる」
とか、
「協調性がないから、以前の職場で上手くいかなかったんだろう?
その職場の主とは知り合いだから、どんなだったか聞いてみるよ」
と、言ったりしていた。
相手を立てて、
粘り強く優しく話してけど、
この人は、
「打っても響かない人」
なのだと分かった。
それからは、
返事はするものの、
空返事で、その人の意見を聞いたりすることはなくなった。
そして、
僕の周囲の同僚もそうするようになっていった。
ここで肝心なのが、
こういう自己中心的な態度をとってしまっていることに対して、
その人自身が気が付いているかどうか?
が問題となる。
(1)
ある人は自分が自己中だと気が付いていて、
後々、後悔している(しかし、治せない)。
(2)
ある人は、
自分が自己中心的であると気が付いていない。
どちらもタチが悪いけど、
後者の方がタチがわるい。
・・・いくら注意しても、
自分がどのように悪いかわからないからだ。
(1)も(2)もどちらも友達ができないだろうけど、
(2)は、どうして自分には友達ができないか分らないだろう。
誤解を恐れずに云うと、
僕を苦しめた自己中な人は、
その人の場合、
その人自身の知恵の問題もあったと思う。
だから、
最後の最後では、
「仕方のないことかな?」
とも思えたからよかった。
けれども、
知恵の問題とかではなく、
その人の先天的な問題であったら、
余計に問題は複雑になる。
要するに、
「アスペルガー症候群」
や
「ボーダー」
の人の場合だ。
そうなると、
一般人ではどうしようもなくなるため、
専門知識のある医師や、
上司や、
その他、自治体に相談したり、
或は警察に相談する必要も出てくるかもしれない。
このような打っても響かない人の度合いは様々だが、
まずは、
自分が壊れないように、
逃げることが重要になってくる。
逃げるのは恥ずかしくないですよ。
季節の変わり目ですから、
体調優先で、
ぼちぼちマイペースで行きましょう。