嫌いなものは仕方ない

嫌いな人、
嫌いな場所、
嫌いな科目、
嫌いな仕事、
嫌いな・・・・


いろいろ嫌いなものがあり、
生理的に受け付けなかったりします。


で、
多くの人は、
それを受け入れようと努力したりします。


例えば、
嫌いな人がいて(もしくは、何もしてないのに一方的に嫌われる)
なんとか上手く関係を築きたいと思っていても、
なかなかできなくて悩んだりします。


そういう時は、
無理に仲良くする必要はないと思います。
事務的な会話だけでいいと思います。


嫌いなのに無理に好きになる必要はないと思います。


嫌いなものは嫌い、
だから無理に好きになることはなく、嫌いのままでいいと思います。


ただ、
当たり障りない関係を築ければ、
それでいいのだと思います。


やりすごす事です。


生きていれば、
自分に有益な人と、
そうでない人が居ると思います。


うまく距離をとったらいいと思う。


ぼちぼちマイペースで。

好き、やりきる、信念

好き、
つづける、
やりきる、
信念・・・。


(↑表面上は。あるいは理想?いやいや現実でしょ、そう思ってるはず)



辞めない、
でも、
辞めたい。



つまり、
諦めたい、
でも、
諦めが悪い。



辛い・・・。
稀に、
死にたい。


(↑日常生活?)


孤独は嫌!
でも、
いつも一人で作ってる。
これでは良いものをできないかもしれない。


(↑精神的に満たされないと、人間おかしくなる。)


時々、
楽しい、もしくは達成感。
みんなが楽しんでくれる。


(↑これの為にやっているのかも。でも、この為だけでは達成できない)


好き。
だからやっている。
前を向いていられる。
(まぁ色々あるけど)


過去をふりかえるなんて出来ないし、
そういう所にいない。


3年後こうなってたい。
4年後こうなってたい。
(病気が酷かった時は、こういう考え方はなかった。)


病気が酷かった時は、
ただ体調がよくなることを初詣で祈り、
一年後の初詣でも回復してなくてガッカリした。


(病気になって2年後の初詣では、家族と初詣に行った。
参拝するお寺の横で駐車場が空くのを待っている。
そこには、
アオダモの木がある。
僕は、
その病気になって2年後の初詣では体調が悪くて、
車内で寝ながら、
真っ青な空をバックにしたアオダモの木を見ていた。


そして、
病気になって3年後の初詣も全く同じ条件だった。
真っ青な青空にアオダモの木。


体調もほとんど良くなってなくて、
病気になって3年後の初詣も車内で寝ながら青空のアオダモの木を眺める。
なにも成長をしていなくて、ただベッドで寝ているだけの一年間だった。


で、
毎年決まって厄払い。
体調が回復するように祈る。
(5千円くらい払ってお祓いのようなものをしてもらい破魔矢を買う)
それが6年間つづいた(2006年から2012年の初詣)


で、
沖縄に来る年の2013年の初詣は、お祓いなどはしなかった(たしか)
で、2014年もしていない。


初詣でお祓いをしなくなっても大丈夫になり始めてから、
ようやく前を向きはじめたかもしれない。


当時よりは回復した。
けど、
それはそれで新しく大きな問題も起こる。


好きなことできてるだけいいんじゃない?
と、
当時の自分には言われそうだ。


まだまだやること、
成長できることが多い。
(その分楽しみだけど、その分苦しまなくてはいけないのが少し億劫)


ぼちぼちマイペースで。


(着物ができました)

前田智徳さんが東出輝裕さんに言ったこと (今回の日記で500回めの更新)

昨日、
プロ野球広島カープの東出さんが引退して記者会見をした。


涙はなく、清々しいものであった。


プロの厳しい世界で、
東出さんは前田さんに、
「失敗して、反省して、また失敗するしかない」
と言われたそうです。


本当に、その通りだと思う。


とにかくまずやってみる。
で、
失敗する。
で、
反省する、
で、また失敗が出てくる。


迷ってるくらいなら、
とにかくやってみて、
それで失敗したら、
またそれを糧に進めばいい。


ある経営者の話で、
「早く失敗しろ、早くこけろ」と言っていました。


今となっては、
その話ももっともだと思う。


早くやって早く失敗したほうがいい。


ぐだぐだやって、
失敗するよりは、
サッとやってみて失敗して次に向かう方が、
精神的にも良いはずだ。
(短時間で失敗したから、まだ時間が有るため次に向かえる)


失敗しても、
焦らないこと。


失敗するまでの工程でも焦らないこと。
焦るとなにもよいことはない。


ぼちぼちマイペースで。

比べる、競争する

競争する。
比較する。


全て相手があってのことだ。


しかし、
相手に勝つまでの工程は、
自分自身との闘い、
自分自身に挑み、競争し、比べ、打ち勝つことを繰り返す。


生きていくことは、
大なり小なり、
こういった自分自身との競争が伴う。


自分との競争に打ち勝つ工程こそ大事で、
(スポーツでないかぎりハッキリ明確な勝ち負けがないので)
生きてく上で満足を得るには、
この自分との競争に勝っていく必要がある。


(しかし、いつもモチベーションが高いわけではなく、
モチベーションを維持しながら自分と競争するのが難しい)


ここで云えるのが、
まわりと自分を比べても仕方ないこと。


人間、色んな人がいるし、
考え方も、見た目も違うし、
他人であれば、他の生き物だと思うくらい違う考えをもつ。


故に、
他人と比べたり、周囲に同調するのではなく、
自分自身の価値観の中で、
自分の満足するようにしていくことが大切だ。


よく、
他人と比べて落ち込むことがあるけど、
後日考えてみて、
その比較はとてもくだらないことだと気がついたりする。


自分は自分、
他人は他人、
あいつはあいつ、
そいつはそいつ。


(他人の意見を軽んじろというわけではない、
他人の意見もあることを認識することは、
人間として当たり前の事。できない人多いけど)


あいつはあいつでこういう意見を持っているけど、
自分は自分だし、比較しても仕方ないから、
自分の出来ることをしよう・・・。
と、
考えるのが重要だと思う。


ぼちぼちマイペースで。


誰かに評価されたいと思う気持ちもわかるけど、
思ったほど重要ではないかもしれません。
(考え方によっては)

生きているだけで辛い

生きているだけで辛い。


色々と問題が重なると、
ある程度、健常な状態でも、
生きているのが辛くて、
この辛さが終わればいいのに(死ぬ)、
と、思うことがある。


そういう、
健常に見えて、そうじゃないときは、
周囲の人も、
その人が自殺するかもしれないことに気が付かない。


そうして、
周囲の人も、自分自身も含めて、
いつの間にか自殺してしまうケースもあるかと思う。


ふとしたきっかけで自殺念慮がポッと生まれ、
なんとなく縄を首にかけて、
最初は自殺する気なんか無く、
すこし首を締め付けるくらいにしていて・・・


ある時は、
そのまま止めて日常生活に戻るけど、
ある時は、
なんとなく自殺してしまうこともあるかと思う。
(たぶん、JRA競馬の一流ジョッキーの後藤騎手は、こんな形で自殺をしてしまったのではないだろうか)


自分でも、
普段の生活で自殺を意識していなくても、
(でも、死んだら生きていることの辛さから逃れられるのも知っている)
ふとしたきっかけで自殺するとこはあるかと思う。


なんか自分が今、そういう感じだ。


生きてるのが辛い、
生きているのが疲れる・・・
これから逃れたい。


ここ2年半くらいは、
いつもそうやって、
孤独半分、元気にやってるように見える自分が半分で生きてきた。


でも、
孤独であることには変わりがない。


別に死んでもいい。


そう思う時もある。


疲れてるのかもしれない。


肉体的(物理的?)にも精神的にも。


しかし、
だましだまし付き合っていくしかないのでしょう。
そういう物なんだと思います。


ぼちぼちマイペースで。

当時は大切では無かったが今は大事 −曲紹介あり−

歌詞
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=57663


当時はさほど自分に意味のあったものでなかったけど、
今は自分に必要な事が合ったりする。


僕が子どものころ、
小室哲也さんプロデュース(小室ファミリー)の、
華原朋美さんが歌っていた、
「i'm proud」
と云う歌がある。


彼女は約5年間、芸能活動から離れている。


そして、
その間、精神的にまいってしまい、
オーバードーズをしたり、
精神科病院に入院したり(閉鎖だったらしけど、真相は不明)、
とにかく大変だったようだ。


僕も2007年に精神科に長期入院している。
それから8年経過して、
今では日常生活を、
支障も多いながらも送っている。
(当時はここまで回復するとは思わなかった)


そして、
最近、華原さんの歌をネットで見る機械があり
「i'm proud」
の曲が現在の自分と当時の自分を繋いでる歌に思えた。


当時は興味すら持たずにいたと思うし、
音楽も嫌いだったので、精神的には逆効果だったと思う。


・・・しかも、
彼女の歌は当時より上手になっている気がする。
すさまじく研鑽を重ねた歌声だ。
才能もあるだろうが、
並大抵の努力ではないはずだ。


こんな形での人間としての成長もあるんだと思う。
自分も、
似たような形で人間として成長が出来たと思う。


(でも、二度と同じ体験はしたくないし、
病気にならなかった人生を経験したかった。)


(自分は、22歳から26歳くらいまで寝たきり状態であった。
特に、最初の3年間は完全に寝たきり状態であった。
22歳から26歳のある意味人生でもっとも大切な時間を捨ててきたのは、
人生の心残りです)


・当時では大切であったものが今はそうでもない
(と、いう形での人間の成長)


・当時は大切では無かったものが今は大切
(と、いう形での人間の成長)


こういった成長・・・
その成長を見つけることが、
僕らの人生なのかもしれない。


華原さんや自分の場合は、
精神的な病気になったので、
人より多めに成長に気が付けるという点では、
よい経験だったのかもしれない。


焦らず、ぼちぼちマイペースで。

一人で居る時は、周囲の応援に気が付けない

一人では生きていけない。


ただ、
一人ぼっちになってしまっている人は多いはずだ。
一人では生きていけないことを知っていても、
一人ぼっちになってしまう。


そういう時は、
自分の殻に閉じこもっているので、
なかなか余裕が無く、
自分の周りでどんなことが起こっているか分りづらい。


だから、
余計に孤独をかんじてしまう。


しかし、
自分が思っているより、
自分の周囲では、
自分に期待してくれていたり、
自分を心配してくれていたりする。


今日も、
普段は一人ぼっちで作業をしていて、
孤独を感じることが多いけど、
久しぶりに、
工芸振興のサポートセンターに行ってきた。


皆知り合いで、
「元気してた?」
とか、気遣ってくれた。


久しぶりだけど、
いつもと変わらない様子で、
いつものように話をしてくれて、
その話の中で、
自分に期待をしてくれているのもわかった。


一人ぼっちだけど、
一人ではない。


物理的には一人ぼっちだけど、
心というか、精神面では一人ぼっちでは無いのだと思った。


一人でいることは難しい。
生きる意欲も、一人ぼっちでは生まれない。


人は誰かとつながってしか生きられないのだと思った。
これが人間として、社会の中で生きるということなのだと思う。


ぼちぼちマイペースでいきましょう。